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創作庭のニヒリスト

お絵かきと自己観察とフリゲの感想

フリゲ雑記17

 しばらくフリゲをする時間がないのと、感想文を書く気力が出てこないので、三ヶ月くらい前に書き溜めていたフリゲ雑記を畳んで投下しておきます。

2/6

 あれから一週間も経ってないが、色々と勇気を出してやってみたことがある。怯えながら、震えながら、それでも前に足を踏み出してみるのは、本当に勇気がいることだ。わりと他者から見て「その程度のことで?」ってレベルのものに臆して恐怖しているが、実感としては一目散にこの場から逃げ出したいくらいに怖い。
 このまま前に踏み出したはいいものの、早くもこの場から逃げ出したくなるし、どうしてかこのまま先、一歩でも踏み出してしまったら、何があっても足を止めてはいけないし、怖いことに直面しても立ち止まってはいけず、逃げ出すこともできないと、さらに恐怖心や不安が倍増するような考えを巡らせている。

 勇気を一度出したら、ずっと出し続けなければならない。気力が落ちていても、逃げ出したくなっても、傷だらけになっても、死の瀬戸際にいても。そのように考えてしまうから、勇気を出したことを自ら讃えるのではなく、「まだまだこれも序の口で、達成しなければならないタスクはこの先にいくらでもある」と、達成感よりも悲愴感に苛まれている。
 一度勇気を出して足を前に出したら、何があってもそこから逃げ出してはいけないと考えている。脅されても、恫喝されても、傷付けられても、勇気を出さなきゃいけない。そんな思考が、余計に私の首を強く締めつけて、ただただ辺り一帯が恐怖に染め上げられていた。

 恐怖と戦わなければならない。それすらも恐怖だ。恐怖に打ち勝って、前に進まないといけない。自己受容ができていないうちに、自らを奮い立たせて前に押しやったのが、少し早すぎたのかもしれない。自分のことをどうやって守ればいいかわからないまま、何の準備もできていないうちから武器も持たずに恐怖と戦おうとしている。
 それともこれもまた、一時の気の迷いからくる偏った思考と感情なのだろうか。

2/1

 2017年と随分前の漫画ですが、ふと目に入って読みました。
 結論から申し上げますと、二回再読したのですが、二回ともボロボロ泣いてました。自分と同じ病の境遇と重ね合わせての感銘なのか、相手へ感情移入しての日常を取り戻して成長したことへの喜びなのか定かではないが、色々と複合的な理由が合わさってボロボロ泣いてたと思う。

 他の反応に目を通してみると、素直に感銘を受けていたり、後半の施術の部分のみを取り上げて「巧妙な宣伝漫画だ」と批判していたりした。読後感は前者の意見と同じであったが、チラチラと「完全実話ではないかもしれない」「対症療法も宣伝のためのものかな」と僅かながらも疑いの目を向けていたので後者の意見も色々とわかる。
 まあ、他者の意見に言及するのは置いておいて、ただ単に自分が読んで思ったこと、感想文みたいなのを書いてみます。漫画を読んで引きずられた感想なので、あんまり漫画に対する感想というより、自己を顧みる独白がメインになりそうだ……。

 長くなりそうなので、畳んでおきます。

フリゲ雑記16

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 私は謎解きが苦手である。どれくらい苦手かというと、謎解きゲームでもなんでもない、RPGや探索ADVにフレーバー程度で出てくる小さな謎解きで詰まり、自棄になって投げ出してしまうくらいに苦手である。
 特に数字系の問題や文字入力問題が出てくると弾け飛ぶ。なんでこんな小難しい暗号書いてんだ……暗号作成者(ゲーム制作者ではなく、ゲームの中のキャラクター)の設定に「趣味:謎解き」とでも出てくるレベルの暗号解読をされてると思うときがある。クソッ……試されている……!

 あまりにも苦手で、さらには「ゲーム自体夢中になっていたのに、謎解きに詰まって泣く泣くやめてしまった」という経験が頻発していたために、本気でこの硬い地頭を柔らかくする必要があると考え、友人に協力していただいて謎解きゲーム合宿(参加者二名)なるものを実行してみたこともある。結果は惨敗であったが。
 まだまだ昔はWebや制作者のホームページなどに、詰まった際の攻略情報が掲載されていたりしたものだが、今現在はそういう情報はTwitterなどで流れることもあるが拾い集めるのはとても困難で、プレイヤーが攻略情報をブログなどに書いてくれることもほとんど数少なくなった。

 ゆえに、謎解きで詰まってしまうと本当にどうしようもない。いや、制作者に直接尋ねれば解決することだが、やっぱりほらこう、感想ならまだしも、謎解きの質問というのは凄く躊躇われる。
 学校の授業でわからないことがあれば挙手して質問してくださいと言われても、「自分一人のために授業の流れを止めるのは申し訳ない」「自分のために時間を割いてもらうのは申し訳ない」と思って挙手できず、わからないまま自分でどうにか解決しようとするレベルの交流下手である。今も昔も「わからないことを質問する」というのが酷く苦手だ。……この悩みはまた、別のところで話そうか。

 本題。そういうわけで、謎解きに詰まったためにゲームを中断してしまった、という悲劇をできるだけ回避したいために、再びここで謎解きゲーム合宿(参加者一名)をしようと思う。あと、昔にクリアしてもう一度プレイしたとき、「あのときはクリアできたんだけど、謎解きで詰んでるナンデ……」という事例も何度か発生しているので、自分用に詰まる箇所の攻略も備考として載せておく。

 今までと異なり、今回は謎解きゲーム祭りです。謎解き重視ということもあり、ろくな感想も残せないと思います。ストーリーがちょろっとあったら、そのことも語るかもしれない。基本、この謎解きは難しいとか、ここが詰まりやすそうとか、そういうゲームシステム中心の感想になりそうです。

フリゲ雑記15

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 日々、ゲームを楽しむ気力が衰えてきているなと痛感する。昔と比較してのことだけれど、第一印象で選別する機会が多くなった気がする。上手いか下手かとかではなく、デフォ素材か自作かで見て、デフォ素材が多めであまり魅力的に思わないと、目を通すことがないことが増えた。
 以前は外見に左右されずに、とりあえず内容まできっちり読んで、物語の面から惹かれるところがあればすぐにダウンロードするのに、今や外見で通過してダウンロードしても、操作面で操作しづらい点を感じたら、早々に投げ出してしまうところがある。

 過去にやったゲームが特別、様々な面で快適で良かった、というわけではない。事実、思い出の中では「あのゲーム凄く面白かったな」とすべてにおいて良い印象があったはずのゲームを今になってプレイしてみたら、「あれ、こんなのだったっけ?」と思い出の中の快適さとは程遠い感覚を持つことがあった。
 それはたぶん、いやきっと、自分の中の「楽しむ能力」が衰えてきているのだと考えている。辛抱強く、小さな楽しみを見出すように、ゲームに寄り添えなくなってきている。ちょっとこれはよろしくない。

 ゲームは娯楽作品ではあるが、フリゲに関しては単なる娯楽として消費したくないと感じている。そういうものを目指しているならまだしも、無理してプレイヤーに合わせて小さく纏まったり、媚を売ったりしなくてもいいと思っている。
 娯楽作品としてのゲームを求めるなら、大手企業の作品を手に取るし、フリゲや個人制作のゲームはある種予想外の方向にぶっ飛んでおいてほしいという願望がある。理不尽な仕様や人を選ぶ物語、複雑な操作性や独自性のある自作イラストなど、むしろその尖った感じが「その人にしか出せないもの」という一点物としての魅力があって、そこに惹かれていた。

 ……話したい内容から離れていっていないか? ええっと。なんだかふと、無料ゲームの数が世に多く溢れている上、大手企業からも質の高い基本無料ゲームが世に放たれて、それを当たり前と化して「無料でも、ある程度のクオリティが欲しい」「ゲームは快適じゃないとダメ」とか、そういったものに侵されてきてるなと感じたので、呑まれないように気を付けて初心を胸に刻まねばなと思った次第でございますはい。
 少なくとも、「ゲームだったら俺を楽しませろ」みたいにお客様根性を出すようなプレイヤーにだけはなりたくない。「楽しくない」とへそを曲げて不満を言うよりも、「楽しいところを見つけてやるぜ」と意欲的に面白い点を見つけるプレイヤーになりたい。後者の方が実感としては、ゲームと向き合っているとき凄く楽しかったので……。

 寒くなってくると、妙に感傷的になるなあ~~~~。改めて、以前のように楽しむ力を育て直していくぞ。
 追記からプレイしたフリゲ雑記です。

10/15

 執筆にハマり込んでいた時期、色々な苦境が遭ったにもかかわらず、比較的落ち込むことなく、むしろそれをバネや燃料にしていたことを思い出した。
 当時は自身の負けず嫌いな性格や、「この苦痛を創作として昇華できるぐへへ……」といった盲目的な創作意欲によってこの現象が起きていると思っていたのですが、実際はきちんとした名称があるらしく、これを「自己高揚的ユーモア」と呼ぶらしいですね。自分の頭が創作によりおかしくなったのかと思っていた……。

 ちょっと軽く検索してみたところ、大きく分類するとこの思考法にも四種類あるらしく、「自己高揚的ユーモア」「親和的ユーモア」「攻撃的ユーモア」「自己卑下的ユーモア」とそれぞれ特徴が異なるみたいですね。分かりやすく簡単に解説していらっしゃったブログがありましたので、そちらを参照にどうぞ。

 個人的な備忘録として、簡単にそれぞれの思考の具体例を書き出してみると、以下の通りだろうか。

●起こった出来事
 雨上がりの道路で、乗っていた自転車が横転した。

●自己高揚的ユーモア
「ほあ~~~、雨上がりの路面は滑りやすいんだな! 勉強になる! スリップしたときのタイヤの滑り具合、凄かったな! 危機的状況に起こる動悸の激しさとか、なかなか体験できないし、こういうのって本当に息をつく間もなくあっという間なんだなあ。これくらいの転倒で、これくらいの怪我になるのか~~~なるほど!」

●親和的ユーモア
「うわー、そういえばこの前に友人も自転車で転倒したって言ってたなあ。気を付けていればないとは思ったけど、気を付けててもなるもんなんだな。あの傷の痛みが身に染みて分かるわ……」

●攻撃的ユーモア
「ハー、最悪。めっちゃ痛いし、もっと自転車の安全性高めろよ……」

●自己卑下的ユーモア
「あー、まあ、これは焦ってブレーキかけずに走った自分が悪いわ。うん、注意してなかったから仕方ない」


 極端な例だけれど、こんなかんじだろうか。自分が昔、感じていた「この苦痛……小説の文章表現のときに役立つな!」と思ってたものは、一番上の「自己高揚的ユーモア」に当てはまる。
 上記の中でも特に「自己高揚的ユーモア」の思考を持つと、人生を歩む上で良い傾向・楽観的思考・幸福感の上昇などがあるらしいが、それは確かにと思っている。耐えがたい苦痛であれど、思考の転換によりそれを糧と化すこともできて、あの頃の自分はある種の無敵モードでもあった。一瞬へこんだとしても、次の瞬間には「創作のネタとして活かせる」と考えて活き活きしていた。

 だがしかし、自己高揚的ユーモアを身につけ続けるのは意外にも困難で大変なのかもしれない。今現在はそういった思考の傾向はなく、何か恐怖や不安に煽られると受け止めきれず、回避しようとしたり身構えて反撃しようとしたりする。「なるべく平穏に生きたい」という思いが殊更に募り、その先に悪いことが一パーセントでも起きる可能性があるのなら、たとえ大半が良い出来事であったとしても極力回避しようとしている。
 なんというか……、不安と恐怖を受け止めるコストが、ある時を境に限界を超えてしまって決壊してしまい、それ以来はちょっとでも不安と恐怖が舞い込むと、過剰な防衛反応が起きているように思うのだ。老化か? 老化な気がするな。体力が落ちると反骨精神も弱くなる。

 以前と比較して、反応を受信する電波の感度が物凄く高まってしまっているために、冷静に考えると「なぜそんなところで反撃しようとするのか?」「どうしてこのような部分に恐怖や不安を感じたのか?」と疑問に思うような些細なことで、唐突に防衛しようと攻撃したくなったり身を縮めたりするときが増えたように思う。
 漠然と、この感覚をどうにかしないとなあと考えているが、真正面から向き合うことなくやり過ごそうとしているので、改めて自分の感覚を観察して、どうしてこんな反応をするのかと分析してみる。解剖して解決策を練ってやれば、少しは落ち着くかもしれない。

 ということで、長い自分語りです。自分語りというより、観察して分析する考察文に近い。主に悩みの種となっている、以下の三点を重点に考えてみる。

■作品に対する人からの反応が怖い
■作品を公開する訳
■感想や反応を貰うと身構える


 以下、畳む。

フリゲ雑記14

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 秋ですね。色んな秋がありますが、自分にとっては創作の秋です。暑い気候より寒い気候のほうが我慢できるし、秋は食べ物もおいしいし(スープ類を好むので、温度的にもちょうど良い)、秋の鈍色の空とか紅葉に色付いた木々とか、芒とか彼岸花などの幻想的な景観とか、目も舌も感受性も肥えていく創作の秋です。うれしー!
 ずっと悩んでいた絵に対するスランプも、ちょっと脱出口が見えてきた気がします。上手くなったかって言われると、そうでもないんですけど、ちょっと描くときに肩の力が抜けたり、絵を描くときの心意気とかも変化してきて、描くのがそこまで苦痛にはならなくなってきました。これもまたうれしー!

 あとは創作意欲が出てきて、何度か小説を書きたいという意欲が出てきているところでしょうか。カードワースのリプレイ風小説を書きたいって、数年くらい前からずっと思っているけれど、なっかなか筆が進まないもので、それどころか筆を執ってすらいないものなのですが。
 2012年くらいに執筆活動が苦になって、それ以来、ちょっとした短編を書いてみては疲れて休み、書いてみては休み、とイラストほど継続できてはいない。これのスランプもイラストと同じく、「上手く書けなくてつらい」というものだった。
 フリゲの雑記でもたまに「上手く言葉がまとまんねえ!!」って筆を放り投げたり、書いている最中はちっとも文章が纏まっていない気がしていますが、読み返してみると、意外とそこまで散文しておらず、まあまあ纏まってる事実は多々ある。

 技巧にこだわらずに書きたいなと思えども、なかなか筆を執れないのはどうしてかなあ。まだどこかで好き放題に書くのは恥ずかしいと思っているのだろうか。投稿サイトなどに投げるとしたら、そういう外聞とか評価とか気にはなるだろうけれど、こういった場末の閲覧している人がいるかどうかもわからない個人ブログやサイトであれば、気にせず伸び伸びと書けると思うんだがなあ。
 長編や中編を書こうとしているから怯えているのかもしれない。目標をもうちょっと低く定めて、自分でも書けるレベルにまで落とせば、書けるんではないだろうか。ここで載せてる独白みたいに。気負わずに書きたいなあ。

 そんなこんなで秋バージョン、プレイしたフリゲの感想を書いていきます。